2008年5月25日 (日)

プリズンブレイク

雑誌の付録についていた『ボーン』『Lの世界』といっしょにDVDに収録されていた『プリズンブレイク』を、なんの予備知識もなく、見たら、はまってしまった。
脱獄ものは、子供の頃から好きで、おそらく映画『大脱走』の影響が大きいのだろう。
それと、タイタニック号でいくつかの作品と共に、沈んだジャック・フットレルの連作短編「思考機械」の中に有名な「十三号独房の問題」というのがある。これも好き。
純粋推理ものとして、この収容所やら刑務所は、密室の変形ヴァージョンであろうと思える。
密室ものは、いかに密室の中で殺人なり事件は起ったかだが、脱出もんは、当然、災害やら人為的なものが影響する。トンネルやら、ビルやらも同じだし、極端な場合、新星化する太陽系から脱出するのも、該当すると思う。
手にはいるごくわずかなものを使って、いかにその環境から脱するか。
事前の緻密な準備作業が、この場合、おもしろい状況が生まれるのだが、『プリズンブレイク』の場合では、そこをほとんどはぶいて始まる。
予備知識がないので、「なんだこれは、兄貴を助けるだ。わけのわからん状況が出てくるなあ」と、思いながら、第一話のラストシーンで、「それは、ここにある」という所で、もはやはまった。
いかんな。こういうはったりには弱いのだよ。まったく。
できるかぎり、予備知識抜きで見ていくと、実におもしろい。当初から、本当に視聴率が取れたら長くしようという意図はあったように思われる。
ここで脱出させて、逃亡後の話にするのねと思えるのが、長くなって、逃亡後も、また長くなって、まあ、それはしかたないか。
はまったお蔭で、他のものも見ることになったしまった。(見るのは勝手ですね)

2008年1月31日 (木)

アメリカン・ギャングスター

アメリカン・ギャングスター(American Gangster and Other Tales of New York)    マーク・ジェイコブスン(Mark Jacobson)

ハヤカワ文庫NF

映画のCMを見ると、実におもしろそう。ついでに原作本ということで、買うが、これがまた期待とは全然違う。
ニューヨークを舞台にしたエピソードの集大成であって、原作部分は、ほんのわずか。
なんだ、これはと思ったのだが、貧乏性なのか、全部読んでしまう。

それなりにおもしろい。しかし、

わたしは、東京で暮らしているのであって、ニューヨークで生きているわけではない。

一度、ニューヨークへ行った。1996年、ワールド・トレード・センタービルもあったし、自由の女神もまじかで見られた。
ヤンキースの試合も見たし、ひとりでマンハッタンをうろつきまわった。
9・11以降、世界は大きくかわった。
この本の中でも、その温度さが感じられる。

帰りの飛行機の中から見たワールド・トレード・センタービルのきらめくマンハッタンの摩天楼を観下ろしながら、
もう一度、来てみたいと思った。
パンケーキの匂いと回転扉のかの国へ。

しかし、そこは変容している。
パックス・アメリカーナは幻想にすぎない。世界を変えるのは、時間であり、戦いではない。
また、日本の政治家もその幻想を捨てることを思いついてもいない。

哀しいことだ。

2008年1月24日 (木)

『MM9』山本弘

「『シム・シティ』って、ゲームあったよな」

「あるよ」

「ある程度、町を大きくするとさ、火事とか、水害とか、竜巻でぶっ壊したくならねえかい」

「あのな、それはおまえだけだろ」

「でさ、なぜか、怪獣っていうのが災害であったよな」

「あるな」

「怪獣は災害か?」

「そう言われると困るが、まあ、自然災害になるんじゃね」

「ゴジラだって、キング・コングだって、人為的に起こした結果じゃないのか」

「それならばだ、火事も水害も人為的な問題だろ」

「そうか、なら怪獣も災害か。なら、その被害はどう測ればいいんだ」

「は?」

「だからね、怪獣って、身長とか体重とかで大きさを計るだろ。しかし、寝てばかりとか、おとなしい奴もいるし、あまり他に被害がないのに東京タワーだけ折っちまったり。ついでに大坂城を壊したりする凶暴なやつもいる」

「だから」

「大きさだけでは想像つかないよな。性格もあるし、その持っている特殊能力も影響するんだぞ」

「だったら、その被害を想定すればいいんじゃないか。地震予知みたいに」

「はあ、そうか、怪獣被害予想というわけか、地震の震度みたいに。怪獣が出現しました。想定される被害は震度7みたいな」

「怪獣震度だな。震源地は、その怪獣かい」

「そうだ。モンスター・マグニチュードで、MMセブンていいな」

「なんか、特撮ものみたい」

「セブンだと、ゴロが悪いから、ナインでどうだ。地震より怖い」

「なんだよ、それ。じゃ予想するのは気象庁かい」

「気象庁特別対策チームとか、なんとか、略して気特隊」

「いいじゃん、それ。いいねえ」

「よし、一本できるぞ」

「くとうりゅうも登場させてよ」

「なに、それ」

「9本の首を持つ竜だな」

「おれは、そう読まんな。ク・リトル・リトルと読むんだ」

注:山本弘さんとはなんの関係もありません。その節は、お世話になりました。たぶん、こんな発想かなというわたしの想像です。そして、傑作です。

2007年12月11日 (火)

スティーヴン・キング『セル』

今年はじめ、キングの『ダークタワー』全7部作、全17冊を、一気に読んで、食傷してしまい、当分、キングはいいと思っていたのだが、携帯電話でゾンビになると聞いた以上、読めねばなるまい。

なにせ、ロメロの『ゾンビ』は傑作だと今でも思っているのだから、だったとしたら、キング版のゾンビを読まねばなるまいって。

ゾンビもいろいろあるのだが、唖然としたのは、トマス・ブロックの『超音速漂流』、大気圏外を飛ぶ飛行機というか、宇宙船というかの中で、無酸素状態の為に乗客がゾンビになってしまうというとんでもないお話し。

この間、読んだジョン・J・ナンスの『軌道離脱』、ど素人が宇宙船を地球に着陸させるというとんでもねえ話しもあるが、『超音速漂流』は、もっと傑作である。

『アイ・アム・レジェンド』の吸血鬼のあとは、ゾンビか。

しかし、いまひとつであった。パターンがあるんだよね、キングも。

ディーン・クーンツほどではないにしろ、先日、読んだディーン・クーンツの『ハズバンド』は、いつものパターン、パターンと思いつつも、はまっていく自分が嫌だ。しかしだよ、クーンツの一番、よくないのは、ど素人がやっぱ超人になっていってしまうんだよね。『ハズバンド』でも同じ。しかし、おもしろかった。『セル』よりも、おもしろかった。

ぼちぼち枯れ気味なのかね。ムアコックみたいに、ひとつのサイクルというか、ストーリーに、無理矢理ダークタワーに集約してほしくないんだ。

読んでる方もすれっからしというところか。

個人的には、『IT』で終わっているのだが。

しかし、身近なものを利用して、ホラーにしてしまう手際はうまい。

2007年11月13日 (火)

『アイ・アム・レジェンド』

ウィル・スミス主演で再映画化。そう、1970年代にチャールストン・ヘストン主演の映画は見ました。

原作よりも後に。映画化名は『オメガマン』

たまたま、そうなってしまったのだけど、最初はハヤカワ文庫NVの『地球最後の男』、1977年。映画は1971年。

原作は、暗い救いようにない雰囲気のままに進む破滅テーマの名作。この作品が凄かったのは、細菌に侵された人間が吸血鬼になってしまう点。当時、読んだわたしも絶句。

ロメロの『ゾンビ』が出てくるのは、この後だが、ゾンビは吸血鬼と言えないが、ショックが大きかった。

インパクトは未だに強く、個人的にこうしたサバイバルものを好むのは、マシスンの影響が大きい。

あと、ホラーで素晴らしいのが『地獄の家』映画化名『ヘル・ハウス』も傑作。

吸血鬼ものというと、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』以降、そのパターンに目新しいものは少なく、この1954年に書かれた『アイ・アム・レジェンド』を、様々な変奏曲吸血鬼ものの嚆矢となるように感じる。

アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』以降、耽美的吸血鬼もの、日本では、『吸血鬼ハンターD』等のアクションもの等、陸続と登場する。

エロティシズムと吸血は、確かに『ドラキュラ』あたりから、その様相があったが、アン・ライスがはっきり打ち出したのは、才能だろう。しかし、アン・ライスの諸作はかったるいなとしか思えないのだけど。

異色ものと言えば、ウイルスに侵されゾンビとなる文学的とでもいうか、ルーシャス・シャパードの『緑の瞳』もある。個人的には忘れられない作品なのだが、好みは分かれる。

ともかく、ファンタジーには定番の吸血鬼、ヴァンパイアという読み方になってしまったが…。

ちなみに女性吸血鬼は、レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』が、その祖であるようだ。

懐かしい作品が再映画化。

本が出るたびに読むマシスン。いいんだよね。わりと忘れられているけど、スピルバーグの『激突』は、このひとの原作。しかし、映画もいいが、原作もいい。埋もれた傑作ちゅうか、映画が有名すぎて、かすんでる。

http://homepage1.nifty.com/ta/sfm/matheson.htm

2007年10月15日 (月)

『カラマーゾフの兄弟』

高校の時に読んで、挫折。ロシアの作家は趣味に合わんと、ずっと思っていた。SFジャンルでもロシアの作家はいるが、ストルガツキーとか、この辺は良く読んでいるのだが、体制批判が多く、う~む、諷刺ジャンルでもあるが、なんとなく敬遠気味ではあった。

今回、再チャレンジ、読む方が年をとれば、それなりに嗜好は変わる。あまり先入観なしで挑戦するが、それでも第一部は辛かった。第二部になると、俄然おもしろくなる。なんなんだ、これはというおもしろさを感じる。

そうか、少なくとも第二部まで読んでおけば、もしかしたら嗜好も変わっていたかもしれない。確かに「大審問官」ここまで到達できるかできないかでしょう。

重厚長大、それは途中までたどりついて、おもしろさを理解できる場合が多い。そういう作品はある。どんな分野にでも。

しかし、続編の可能性があったとは思えないほどなのだが。

ここからは、多少の勝手なイメージである。ドストエフスキー論など、ほとんど読んでいませんし、他の作品もほとんど読んでいません。

第一部で、カラマーゾフ家の全体像を、第二部で個々の状況、心象を、第三部で行動を、第四部で、その総括をという構成パターンのように思われる。

確かに近代小説としての先駆的な役割は巨大であるし、唖然とさせられたことであろうと思う。

緊密な描写と計算された構成は、唸らされるばかりだ。

続編の可能性について、勝手に思えば、作者側からの語りなおし、登場人物の動き、心象の語りなおしが行われたならば、まさに思考の壮大な実験場であったように思う。

自分の言葉、登場人物を作者の代弁者とみなさなず、個々に生きている人物として描いたとするならば、そこに作者の意匠がありえるべきであると思われるし、ならば、再度、語りなおされるものでもあるとは思うのだが。

う~む、こんなにおもしろかったのね。ミステリとして、読もうとは思わないけども。

2007年10月10日 (水)

尊敬

最近、良く思うのだが、確かに年寄りの社会にはなっているのは間違いない。が、品格という言葉は使いたくないが、品位がないとしか言いようのない方がたまにいる。当然、そうでない方もいるのだけど。

だからさ、若い連中をどうのこうの言う前にね、道いっぱいに広がってしゃべりながら歩くとか、電車のドアの前でがんばるとか、酒飲んでいるときにバカでかい声で自慢するとか、いかにも年寄りを大事にしろという態度とか、少しでいいんだけど、ほんの少し、譲り合いの心があってもあってもいいよね。

尊敬しなければならないとか、言うことをきかなければならないとかを言われるのもねえ。

ひとは聞く、耳を傾ける、心を傾けるのは、それ相応のことがなければ、なかなかそういう気持ちにはならないと思う。ひとを押しのけて、わたしは年長者だから当然よという態度を取られたら、そんな気持ちにはならないよね。

おれの若いときは、とか、こんな時は、おれはどうしたとか、ちょっと待ってね。単に自分の心の赴くところ、自己満足のための言葉では、ひとは動かないということを理解してほしい。

若い連中は、だめだというけども、あなたがたも若いときは同じように思われていたに違いない。絶対数が増えつつあるなかでは、よほど注意しないと尊敬はされませんぜと感じますねえ。

存在するだけで、尊厳をもって扱われる時代でもなくなっているのは哀しいことかもしれないけれど、歩みよりがない限り、対話もなりたたない。

わたしも中年を既に過ぎようとしている。注意しすぎるくらいが充分であろう。

2007年10月 5日 (金)

格差だの、品格だの

『経営者格差 -会社がワーキングプアを助長する』藤井義彦 PHP新書 2007/9/28 ISBN:9784569695143

格差とか、品格とか、つければいいってものじゃないように思うのだ。既に最近の新書レベルは、お年寄りたちの繰り言のようなものが多過ぎるようにも感じる。題名を思いついて、じゃそれでいきましょうという安易さが感じられなくもない。だからね、けっして、良くないと言っているわけではない。

多少なりとも文句のつけようがある。買って読んでしまうわたしもバカだとは思うが。

どんな本でも、ひとつでもきらめくところがあれば、それはそれでいいことであるなんてことを言ったのは、時代小説家の長谷川伸であるが、最近、こちらの感性も擦り切れているのか、そう感じられないことが多い。

経営者で会社は変わるというけども、スタッフの影響も大ではないかとも思う。大いなるナンバー・ツーでいたいと思い、数社、転々としたけれど、必ずしも経営者だけではないと思える局面が多かった。

最後に決断するのは、確かにそうだが、その前にしなければならないことを導くのもスタッフだろう。良きスタッフと良き経営者、このふたつがなければならない。なんでもかんでも器のせいにされてもさ。

『40歳、人生の転換期までにすべきこと -ここから仕事ができる人、できない人』川北義則 PHP文庫 2007/9/18 ISBN:9784569669021

このての本は来るべき危機に、いかに対応するかを考えるために、ああせい、こうせいという指南本だけど、現実には、なかなかに難しい。

前の本も同じだが、成功したひとが書くのであって、こうしとけばよかったの方が、インパクトはあるようにも思うのだけど、単に愚痴で終わるか。

40になると気力は確かにおちる。何をするにも45歳が、ひとつのボーダーラインだろう。

格好よく生きるのは難しい。だからこそ、少しは格好つけなければならないのかもね。

2007年10月 3日 (水)

ファンダム

10月末に、久々にコンベンションをやろうかとなった。実務はまったく何も、わたしはしていないので、誠にもうしわけなく思っているのだけど。

ファンダム、SFファンダムっていうものだが、かって1980年代はじめ、東京SFクラブに所属して、会長までやったわけだけど、そう「おたく」などという呼び方はまだすくなく、「マニア」という表現であった。

渋谷の道玄坂を登ったところにある喫茶店「ニュープリンス」で毎週、土曜日の夜、会合をやっていた。仙台SFクラブとの連係もあったが、一時期会員数は最大50名くらいまでいったはず。

それなりのSFファンクラブだった。楽しかったし、何より出会った連中とは、なんだかんだで長く連絡を取り合えるのがうれしい。

20年振りのOBコンと名付けた宴会。50名くらいは来るらしい。

みんな、年齢は50前後になってしまたけど、また騒げるのはうれしい限りである。

SFから足を洗ったひともいるだろうけど、まだ、わたしは少しは情熱を持っているらしい。

最近の読書傾向はあらぬ方向にむかっているけれど。

2007年10月 1日 (月)

心機一転

会社の決算5期めが終った。細かい伝票処理はこれからだけど、売上チェックも、まだまだだけど。

当初、目指していた黒字にはなれそう。しかし、胸をはれる状況ではない。

苛烈な状態は変わらず。これからが、本当の勝負になる。

ライフサイクル的に考えると、スタートアップ期を乗り越えただけ。これから、成長期にはいれるかどうかの境目である。更に急成長期になれるかどうか。

会社を立ち上げて三年めをすぎて、一人前くらいかねとは、よく言われるが、ようやく会社と認知されるというレベルに過ぎず、一人前とは誰も思わない。五年過ぎて、少しは思われるかもしれない。

年商いくらとかあるけど、それは売上に過ぎず、利益をなんぼ稼ぐかが、本来の会社の中身だろう。

厳しいすよ。

100社あるとすると、立ち上げ一年めで半分つぶれ、三年めに生き残るのは30%、しかも一年めの業容、業態を変化させているものは、そのうちの半分。さらに10年めまで生き残れるかは、10%くらい。

いばらの旅路と言ってしまえば、それまでだけど、頭使って、気を使わないと、それでも油断大敵である。

緑の芝生は一朝一夕には、つくれないということなのだろう。

がんばるっきゃないって。

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