書籍・雑誌

2008年1月31日 (木)

アメリカン・ギャングスター

アメリカン・ギャングスター(American Gangster and Other Tales of New York)    マーク・ジェイコブスン(Mark Jacobson)

ハヤカワ文庫NF

映画のCMを見ると、実におもしろそう。ついでに原作本ということで、買うが、これがまた期待とは全然違う。
ニューヨークを舞台にしたエピソードの集大成であって、原作部分は、ほんのわずか。
なんだ、これはと思ったのだが、貧乏性なのか、全部読んでしまう。

それなりにおもしろい。しかし、

わたしは、東京で暮らしているのであって、ニューヨークで生きているわけではない。

一度、ニューヨークへ行った。1996年、ワールド・トレード・センタービルもあったし、自由の女神もまじかで見られた。
ヤンキースの試合も見たし、ひとりでマンハッタンをうろつきまわった。
9・11以降、世界は大きくかわった。
この本の中でも、その温度さが感じられる。

帰りの飛行機の中から見たワールド・トレード・センタービルのきらめくマンハッタンの摩天楼を観下ろしながら、
もう一度、来てみたいと思った。
パンケーキの匂いと回転扉のかの国へ。

しかし、そこは変容している。
パックス・アメリカーナは幻想にすぎない。世界を変えるのは、時間であり、戦いではない。
また、日本の政治家もその幻想を捨てることを思いついてもいない。

哀しいことだ。

2008年1月24日 (木)

『MM9』山本弘

「『シム・シティ』って、ゲームあったよな」

「あるよ」

「ある程度、町を大きくするとさ、火事とか、水害とか、竜巻でぶっ壊したくならねえかい」

「あのな、それはおまえだけだろ」

「でさ、なぜか、怪獣っていうのが災害であったよな」

「あるな」

「怪獣は災害か?」

「そう言われると困るが、まあ、自然災害になるんじゃね」

「ゴジラだって、キング・コングだって、人為的に起こした結果じゃないのか」

「それならばだ、火事も水害も人為的な問題だろ」

「そうか、なら怪獣も災害か。なら、その被害はどう測ればいいんだ」

「は?」

「だからね、怪獣って、身長とか体重とかで大きさを計るだろ。しかし、寝てばかりとか、おとなしい奴もいるし、あまり他に被害がないのに東京タワーだけ折っちまったり。ついでに大坂城を壊したりする凶暴なやつもいる」

「だから」

「大きさだけでは想像つかないよな。性格もあるし、その持っている特殊能力も影響するんだぞ」

「だったら、その被害を想定すればいいんじゃないか。地震予知みたいに」

「はあ、そうか、怪獣被害予想というわけか、地震の震度みたいに。怪獣が出現しました。想定される被害は震度7みたいな」

「怪獣震度だな。震源地は、その怪獣かい」

「そうだ。モンスター・マグニチュードで、MMセブンていいな」

「なんか、特撮ものみたい」

「セブンだと、ゴロが悪いから、ナインでどうだ。地震より怖い」

「なんだよ、それ。じゃ予想するのは気象庁かい」

「気象庁特別対策チームとか、なんとか、略して気特隊」

「いいじゃん、それ。いいねえ」

「よし、一本できるぞ」

「くとうりゅうも登場させてよ」

「なに、それ」

「9本の首を持つ竜だな」

「おれは、そう読まんな。ク・リトル・リトルと読むんだ」

注:山本弘さんとはなんの関係もありません。その節は、お世話になりました。たぶん、こんな発想かなというわたしの想像です。そして、傑作です。

2007年12月11日 (火)

スティーヴン・キング『セル』

今年はじめ、キングの『ダークタワー』全7部作、全17冊を、一気に読んで、食傷してしまい、当分、キングはいいと思っていたのだが、携帯電話でゾンビになると聞いた以上、読めねばなるまい。

なにせ、ロメロの『ゾンビ』は傑作だと今でも思っているのだから、だったとしたら、キング版のゾンビを読まねばなるまいって。

ゾンビもいろいろあるのだが、唖然としたのは、トマス・ブロックの『超音速漂流』、大気圏外を飛ぶ飛行機というか、宇宙船というかの中で、無酸素状態の為に乗客がゾンビになってしまうというとんでもないお話し。

この間、読んだジョン・J・ナンスの『軌道離脱』、ど素人が宇宙船を地球に着陸させるというとんでもねえ話しもあるが、『超音速漂流』は、もっと傑作である。

『アイ・アム・レジェンド』の吸血鬼のあとは、ゾンビか。

しかし、いまひとつであった。パターンがあるんだよね、キングも。

ディーン・クーンツほどではないにしろ、先日、読んだディーン・クーンツの『ハズバンド』は、いつものパターン、パターンと思いつつも、はまっていく自分が嫌だ。しかしだよ、クーンツの一番、よくないのは、ど素人がやっぱ超人になっていってしまうんだよね。『ハズバンド』でも同じ。しかし、おもしろかった。『セル』よりも、おもしろかった。

ぼちぼち枯れ気味なのかね。ムアコックみたいに、ひとつのサイクルというか、ストーリーに、無理矢理ダークタワーに集約してほしくないんだ。

読んでる方もすれっからしというところか。

個人的には、『IT』で終わっているのだが。

しかし、身近なものを利用して、ホラーにしてしまう手際はうまい。

2007年11月13日 (火)

『アイ・アム・レジェンド』

ウィル・スミス主演で再映画化。そう、1970年代にチャールストン・ヘストン主演の映画は見ました。

原作よりも後に。映画化名は『オメガマン』

たまたま、そうなってしまったのだけど、最初はハヤカワ文庫NVの『地球最後の男』、1977年。映画は1971年。

原作は、暗い救いようにない雰囲気のままに進む破滅テーマの名作。この作品が凄かったのは、細菌に侵された人間が吸血鬼になってしまう点。当時、読んだわたしも絶句。

ロメロの『ゾンビ』が出てくるのは、この後だが、ゾンビは吸血鬼と言えないが、ショックが大きかった。

インパクトは未だに強く、個人的にこうしたサバイバルものを好むのは、マシスンの影響が大きい。

あと、ホラーで素晴らしいのが『地獄の家』映画化名『ヘル・ハウス』も傑作。

吸血鬼ものというと、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』以降、そのパターンに目新しいものは少なく、この1954年に書かれた『アイ・アム・レジェンド』を、様々な変奏曲吸血鬼ものの嚆矢となるように感じる。

アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』以降、耽美的吸血鬼もの、日本では、『吸血鬼ハンターD』等のアクションもの等、陸続と登場する。

エロティシズムと吸血は、確かに『ドラキュラ』あたりから、その様相があったが、アン・ライスがはっきり打ち出したのは、才能だろう。しかし、アン・ライスの諸作はかったるいなとしか思えないのだけど。

異色ものと言えば、ウイルスに侵されゾンビとなる文学的とでもいうか、ルーシャス・シャパードの『緑の瞳』もある。個人的には忘れられない作品なのだが、好みは分かれる。

ともかく、ファンタジーには定番の吸血鬼、ヴァンパイアという読み方になってしまったが…。

ちなみに女性吸血鬼は、レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』が、その祖であるようだ。

懐かしい作品が再映画化。

本が出るたびに読むマシスン。いいんだよね。わりと忘れられているけど、スピルバーグの『激突』は、このひとの原作。しかし、映画もいいが、原作もいい。埋もれた傑作ちゅうか、映画が有名すぎて、かすんでる。

http://homepage1.nifty.com/ta/sfm/matheson.htm

2007年10月15日 (月)

『カラマーゾフの兄弟』

高校の時に読んで、挫折。ロシアの作家は趣味に合わんと、ずっと思っていた。SFジャンルでもロシアの作家はいるが、ストルガツキーとか、この辺は良く読んでいるのだが、体制批判が多く、う~む、諷刺ジャンルでもあるが、なんとなく敬遠気味ではあった。

今回、再チャレンジ、読む方が年をとれば、それなりに嗜好は変わる。あまり先入観なしで挑戦するが、それでも第一部は辛かった。第二部になると、俄然おもしろくなる。なんなんだ、これはというおもしろさを感じる。

そうか、少なくとも第二部まで読んでおけば、もしかしたら嗜好も変わっていたかもしれない。確かに「大審問官」ここまで到達できるかできないかでしょう。

重厚長大、それは途中までたどりついて、おもしろさを理解できる場合が多い。そういう作品はある。どんな分野にでも。

しかし、続編の可能性があったとは思えないほどなのだが。

ここからは、多少の勝手なイメージである。ドストエフスキー論など、ほとんど読んでいませんし、他の作品もほとんど読んでいません。

第一部で、カラマーゾフ家の全体像を、第二部で個々の状況、心象を、第三部で行動を、第四部で、その総括をという構成パターンのように思われる。

確かに近代小説としての先駆的な役割は巨大であるし、唖然とさせられたことであろうと思う。

緊密な描写と計算された構成は、唸らされるばかりだ。

続編の可能性について、勝手に思えば、作者側からの語りなおし、登場人物の動き、心象の語りなおしが行われたならば、まさに思考の壮大な実験場であったように思う。

自分の言葉、登場人物を作者の代弁者とみなさなず、個々に生きている人物として描いたとするならば、そこに作者の意匠がありえるべきであると思われるし、ならば、再度、語りなおされるものでもあるとは思うのだが。

う~む、こんなにおもしろかったのね。ミステリとして、読もうとは思わないけども。

2007年10月 5日 (金)

格差だの、品格だの

『経営者格差 -会社がワーキングプアを助長する』藤井義彦 PHP新書 2007/9/28 ISBN:9784569695143

格差とか、品格とか、つければいいってものじゃないように思うのだ。既に最近の新書レベルは、お年寄りたちの繰り言のようなものが多過ぎるようにも感じる。題名を思いついて、じゃそれでいきましょうという安易さが感じられなくもない。だからね、けっして、良くないと言っているわけではない。

多少なりとも文句のつけようがある。買って読んでしまうわたしもバカだとは思うが。

どんな本でも、ひとつでもきらめくところがあれば、それはそれでいいことであるなんてことを言ったのは、時代小説家の長谷川伸であるが、最近、こちらの感性も擦り切れているのか、そう感じられないことが多い。

経営者で会社は変わるというけども、スタッフの影響も大ではないかとも思う。大いなるナンバー・ツーでいたいと思い、数社、転々としたけれど、必ずしも経営者だけではないと思える局面が多かった。

最後に決断するのは、確かにそうだが、その前にしなければならないことを導くのもスタッフだろう。良きスタッフと良き経営者、このふたつがなければならない。なんでもかんでも器のせいにされてもさ。

『40歳、人生の転換期までにすべきこと -ここから仕事ができる人、できない人』川北義則 PHP文庫 2007/9/18 ISBN:9784569669021

このての本は来るべき危機に、いかに対応するかを考えるために、ああせい、こうせいという指南本だけど、現実には、なかなかに難しい。

前の本も同じだが、成功したひとが書くのであって、こうしとけばよかったの方が、インパクトはあるようにも思うのだけど、単に愚痴で終わるか。

40になると気力は確かにおちる。何をするにも45歳が、ひとつのボーダーラインだろう。

格好よく生きるのは難しい。だからこそ、少しは格好つけなければならないのかもね。

2007年9月28日 (金)

経営知能

『経営知能 リーダーは育てるより、探し出せ』 ジャスティン・メンクス 高遠裕子訳 光文社

なんだ、そうだ。

経営感覚を持て、持てとよく言われていたけども、いったいコストはどのくらいかかっているのか、管理費を完璧ブラックボックス化しておいて、これだけ売上が必要だと、わめかれても、少しも理解できなかった。

なぜ、その売上が必要なのか、また利益は、どれだけ必要なのか、実際の数字を提示もせずに、言われたことをやればいいんだと言っておきながら、経営感覚を持てと、びーびー言われてもさ、磨けないんだよね。コスト意識と経営感覚って、そこには大きな違いがあると思う。

つまり、そう言えばいいという机上の空論で、ものを言うから混乱する。

そこに必要なのは現場や、実際の業務に対する知識だけでなく、知恵がなければならない。知識だけではなく、物事をを具体化するための考え方を出すための知恵がいる。

その知恵をいかに見いだすか、また、その知恵(この場合は経営知能と言っている)はいかなるものか。

を解いている。わかりやすいし、具体例も出してくれる。

IQだけではなく、EQだけでもないと。

IQで思い出すのは、ヴァン・ヴォークトというSF作家。やたらIQが高い主人公が出てくるのだけど、あっと驚いたり、物忘れがひどかったり、どう考えても頭悪いんじゃないのとしか思えぬのだが、この場合も知恵が足りないのね。よく飲みに行くスナックの客で、ぼくはIQ140なんだと言う、とんでもない自慢をする方もいらっしゃいますが、やはりIQだけではないのですよね。

参考にはなるが、しかし、まさにこれに適合するひとは1000人にひとり、いや、万人にひとりかもしれない。

まさに、自分がそうなんだと思うひともいるだろうし、探せないのは会社が悪いと思うひともいるでしょうし、実践しているんだと思うひともいるでしょう。

が、出るひとは出る。

それに成功したひとというのは似た考え方をするのも、また事実である。

成功例は、いくつかのパターンに似ていく、失敗のパターンも、また同じ。

分析過程が興味深く、久々におもしろい(不謹慎か)と言える経営本だった。

まあ、この本の通りに実践しようとは思わんけどね。別の意味で片寄りそう。

2007年9月25日 (火)

野性の呼び声

光文社古典新訳文庫  The Call of the Wild ISBN:9784334751388

ジャック・ロンドン、深町眞理子訳。

そう、深町眞理子師、敬愛する翻訳家において、そのレベルは、日本国内でもトップ。スティーヴン・キングの『シャイニング』『クリスティーン』で、惚れ込んだ翻訳家です。

そのひとがジャック・ロンドンの『野性の呼び声』を訳すとあっては、なにがなんでも読まなければと思っていました。

動物ものは好きで、良く読んでいるのだけど、幼児期体験の『シートン動物記』の影響が大きい、この作品は子ども向けのアブリッジ版で読んだ記憶がある。大人向けのものとしてははじめて。

物語そのものの作りは、エピソードの積み重ねで、さほどのインパクトはないが、おもしろい。

バックという犬がアラスカに連れて来られ、艱難辛苦ののち、野性に帰るというストーリー。しかし、いいね。

ジャック・ロンドンの著作リストは、こちらを参照してね。

http://homepage1.nifty.com/ta/sfl/london.htm

続編も出そうなので、期待している。

やっぱ、世紀の境目のひとたち、調べるに値するものがあるのかもしれない。

翻訳の日本語で、こういう言葉を使うのと、思わず、うなった箇所がいくつか。

だから、すごいんだろうかねえ。

2007年9月20日 (木)

武器よさらば

アーネスト・ヘミングウェイの名作である。光文社古典新訳文庫で読む。

この古典新訳文庫、なかなかにいい。訳者の選択でも思わず、うならせるものもあるし、改めて、古典、その意味を考えさせてくれる。どうしても教科書で学ぶということで、学校を思い出してしまうのだけど、最近、昔の作品もいいのかなあと思いはじめている。

で、少しずつ読みはじめている。

第一次世界大戦を背景としたイタリアでの男女の逃避行。中盤、なんとなくかったるいのだけど、後半の疾走感は得難いものがある。

ハードボイルドな文体。有名な会話体の「殺人者」という短篇があるが、硬派な文章、翻訳でも充分に伝わるような気がする。原文では、とてもじゃないけど手が出ない。

悲劇にまで昇華しえるその魅力。改めて、すごい作家なんだなと思う。

映画はいにしえの昔、見た記憶があるが、ほとんど覚えておらず。そのためか、小説で存分に楽しめた。

ヘミングウェイの翻訳リスト作成時に、様々な文献にあたったのだけど、う~む、そんなにすごい作家なのか、ならば、本腰を入れて読もうかと思った。本当に今回、他の作品も読みたくなった。

カタストロフィ、そんな表現をしたくなる名作である。